2008年7月25日 (金)

かたり

もぐ太はどうも気力がいまひとつ湧かないようで、横になってばかりいる。
暑さで体力を消耗するから当然だとも思うが、そばで見ているとなんとも寂しい。
それに、最近だいぶ痩せてきてしまった。食事はたっぷり用意しているし、本人もよく食べるのに、どうして肉が落ちるのだろう…。寝ていることが多いせいで全身の筋肉が衰えているのだろうか。

きのうの「クローズアップ現代」でナラティブ・ベイスト・メディスンというか、患者の「語り」に焦点を当てた活動が紹介されていた。
私も、もぐ太自身の言葉をなるべく書き留めるようにしているが、病の渦中にいるとなかなか語りも出てこないものだ。寛解を迎えた当事者が物語るようなわけにはいかない。不安はあるだろうが、それを口にするのを控えているようにも見受けられる。それを引き出すと気が楽になるのか、ならないのか。
それとも「回想法」のように、私の知らない昔の話を聞いたほうがいいのだろうか。悩むうちに時間が過ぎていく。

2008年7月23日 (水)

うなぎ

10時半に予約票持参で眼科へ行った。すでにビルの廊下までたくさんの人がはみ出して、大変な混雑。
受付の人が「1時間くらいお茶飲んできてくださっていいですから」と言う。え〜?悪い予感。
…中略…
ようやく名前を呼ばれたのは、実に実に午後3時!
昼食もとれず、ひたすら椅子にすわって待っていた。私は雑誌『四季の味』を隅から隅まで読んでしまったが、肝心の患者もぐ太は雑誌が読めるわけでもなし、ふだんなら昼寝をしているところなのに我慢していた。よく頑張れたね。

おなかぺこぺこ状態でデパートの食堂街へ。「うなぎ食おう」ともぐ太。私も大賛成。
ただし、うなぎは時間がかかる。もろきゅうをつまみにちょっと一杯。空腹に酒がしみわたる。
鰻重をふたりとも無言でかっこみ、家路についた。

帰宅後はうなぎのようにベッドにのびる二人。お相撲の時間も知らずにずっと眠りこけた。

2008年7月21日 (月)

今日は好調

直射日光はきついけれど、休日のせいか暑さはそれほどでもない。
もぐ太は久しぶりに葉書一枚を自分で書き上げた。いくつか誤字はあるものの、これなら立派なものだ。朝食後にひらがなの書き取りをした成果だろうか。
ただ、宛先の住所だけは間違いがあると先方に届かないので、私が代筆する。

買い物に出かけている間、留守番をしてもらったが、電話が一本かかってきたそうだ。用件を聞いてメモをとるという、もぐ太にはかなりハードルの高い仕事。それもちゃんとできていて、内容はすべて正確だった。これには私もちょっとびっくり。どうやら今日は調子がいいようだ。
一喜一憂しないとはいっても、こういうときは素直に喜んでいいのではないだろうか。

昼食はソウル風冷麺。私も暑中見舞いを一気に書き上げよう。

2008年7月20日 (日)

猛暑日

早朝5時に散歩をした。気持ちがよかった。
昼間は私も「ぐで〜っ」としてしまい、何もする気が起こらない。
部屋の中もいつのまにか、また汚くなってきた。片付けをしなくては…。

役所の保険年金課から、高額療養費支給申請をしなさいと言ってきた。5月分の医療費の領収書をかき集めなくてはならないが、面倒で腰が上がらない。ま、明日も休日だし。

もぐ太の病気が判明してから3ヵ月。めまぐるしい月日だった。
いろいろあったけれど、まだ元気でまじめに生きている。もっとずっと、いつまでも元気でいてくれていいのだからね。

夕食はチキンと芝エビの軽いトマト煮込み、奈良のにごり酒風味。

2008年7月19日 (土)

お出かけの副産物

もぐ太をコンサートに連れ出してみた。
家にいても本が読めるわけでなし、音楽CDは頭が疲れるからといって聴こうとしない。テレビも見る気がしないらしい。それでも、小さなホールでの生演奏なら、そして好きな種類の音楽なら楽しめるかもしれない…ただ、2時間近くじっと坐っていることに耐えられるかどうかが心配だった。

音楽会はとてもフレンドリーな雰囲気で、視覚的にも美しかった。モーツァルトの初期の作品を集めたプログラムも、考えていたとおり心地よかった。もぐ太も楽しかったと言ってくれた。

夜の列車で帰るのはさすがに負担が大きいと思い、東京に宿をとった。
そこで部屋に備え付けてあった大型液晶ハイビジョンテレビ…ノイズのない映像がすっかり気に入ったもぐ太。
「帰りに買っちゃおうか」「うん」
と話がまとまり、翌朝駅前の家電量販店へ行く。
時あたかも北京オリンピック商戦のまっただ中。一番人気の亀山モデルがずいぶん安く買えた。
配送も瞬く間に済み、きのうからお相撲を大画面で楽しんでいる。

2008年7月17日 (木)

幻の文章

文字の読めないもぐ太が、それでも字を読もうとすると、おもしろいことが起きる。
お昼にデパートの蕎麦屋で冷やしそばを食べていたところ、たまたまガードマンの巡回があった。
もぐ太も振り返ってそれを見ていた。

さて、食べ終わって出口へ行ったとき、もぐ太が掲示の紙を一生懸命見ている。
そして「客同士のけんかがありましたが、無事解決しました。ご協力ありがとうございました、って書いてあったよ」と言う。
実際に書いてあったのは「○○屋商品券は8階食堂街の一部の店舗ではご使用になれません。ご了承ください」なのだが……

もぐ太は性格が素直なので、本当はこう書いてあるんだよ、と教えると、「ええ? ほんと?」で済むが、これが頑固婆さんだったりすると家族関係は深刻なものになりそうだ。

いろいろなことがあって、毎日が新鮮。

2008年7月15日 (火)

クリニックへ行く

もぐ太は放射線療法の代わりに、ある治療を受けている。
血液を少量とり、その中のリンパ球を培養して体内に戻すという治療法だ。
もぐ太自身の血液を用いるので副作用がなく、あとは自分の免疫細胞が腫瘍と闘ってくれることを期待する。抗癌剤で弱った免疫機能を甦らせようという意味もある。
一部の大学病院などでも行われているが、この治療を専門にしているクリニックがあり、もぐ太もそこに通っている。
私たちの家からは距離の割に交通が不便なので、往復2万円以上かけてタクシーで行く。こうしたこともあって、遅まきながらクルマを買う決断をしたのだ。

暑い日だった。帰りがけに買ったソフトクリームが体にしみわたる。
帰宅後も体調はよかった。手紙の口述筆記などして過ごす。

2008年7月14日 (月)

外で晩ごはん

いろいろな雑事に追われて夕食の買い物に出られなかった。もぐ太にどうしようかと聞くと、外で食べたいと言う。
じゃあ車椅子で出ようかと言ったら、乗り心地がわるいからイヤだ、歩いて行くとの答え。大丈夫かなあ…

杖を突き、よたよたと800mほど先の食堂街へ向かう。魚が食べたいとのことで、和食屋に入った。
「ちょっぴり飲む。日本酒でいいよ」
たしかにこの病気、酒は禁じられていないのだけれど、飲んだあと家まで歩けるの?

地魚の刺身を肴に楯ノ川の純米をちびりちびり。帰りも一応無事だったのでほっと安心した。
初めての夜の外出に成功。

2008年7月13日 (日)

ついにクルマを買う

これが賢い選択だったかどうか、いまだに忸怩たるものがあるのだが…
サンダルつっかけて隣町のディーラーへ出向き、その場で自動車を買ってしまった。
1300ccのお手頃コンパクトカー。

営業マンのお兄さん(いい人だった)は、てっきり冷やかし客だと思っていたようだ。とんとんと成約に至り、頭金を即金でひょいと払ったものだから、びっくりしていた。

こうなるともう後へは引けない。まずは車庫の確保。これは前もって空きを確かめてある。
次に、出張教習を何度か受けて、今時のクルマに慣れなければ。(なにしろ免許をとったのは20歳のときで、当時の教習車はMTコラムシフトだった!)
若いころ何年かは会社へクルマ通勤していたが、いまとなっては遠い昔…。

用途は当面、家から25km離れたもぐ太の病院への通院、そして都内にある私の事務所との往復だ。秋にでもなれば、近くの漁港や紅葉の湖にでも連れ出してやりたい。

2008年7月12日 (土)

生きる

朝食後、朗読の時間が終わったら、もぐ太はさっさとパジャマに着替え、本格的に眠ってしまった。
毎日「食事・薬・おやつ・寝る」の繰り返しだ。でもそれが、生きてるということなのだ。

私も「食事を作る・薬を飲ませる・おやつを用意する・寝る」の他には「洗濯する・掃除ロボットを動かす・スーパーで買い物をする・黒豆茶を作って冷やす」くらいしかしていないが、これも生きているということなのだろう。

人生の意味を問うのは今するべき仕事ではないように思う。日々生きることが最も大切だ。

2008年7月11日 (金)

声を鍛えなきゃ。

本が読めないもぐ太のために、今日は朗読ボランティアをした。
朗読というのは結構たいへんな作業だ。黙読で20ページ読むのは何でもないが、訓練をしていない喉で同じだけの文章を一気に読み上げるのはかなり疲れる。

むかし日本語を留学生に教えていたとき、日本史の参考書を1冊まるごと録音してほしいというリクエストがあり、やったことがある。
今なら三省堂の高校日本史の朗読がiTunes Storeで買えるけれど。

青空文庫のようにテキストデータ化されている作品ならば、読み上げソフトを用いて読むことができる。だが、ふつうに読みたい本を1ページ1ページスキャナにかけてOCRで読ませ、テキスト化するというのは現実的ではない。私がボランティア朗読者になるほうが簡単だろう。
疲れない発声法、明瞭な発音を身につけるにはどうすればいい?

2008年7月10日 (木)

無事帰宅

東京から戻って、ふたりとも泥のように眠った。
駅構内をふらふら歩くのはさすがに危ないと考え、初めての車椅子外出。
なんとか用事を済ませ、ひと晩泊まって帰ってきた。

駅のホームは狭いところに人がひしめき、足もとには視覚障害者用のブロックが敷かれている。こちらも視覚障害者だが、車椅子で通るとなると(しかも車輪の小さい介助用車椅子だとなおさら)衝撃がひどくて大変だ。乗っていてさぞや疲れたことだろう。

午後にはヘルパーさんが訪問。もぐ太は熟睡していたので、いきなり声をかけられびっくり。
「なんで前もって起こしてくれないの」と恨まれた。

2008年7月 9日 (水)

東京へ。

今日は病後初めて東京へ出る日。
体力がもつかどうか心配、駅の雑踏を歩けるかどうか心配、ちゃんと話ができるかどうか心配、と心配の種はつきない。
幸い梅雨はこの日だけ一休みしてくれたようだ。傘があるとないとでは介助犬(私)の仕事も大違い。

東京まではさすがにタクシーで行けない。自家用車を買うか買わないかで、いま相当迷っている。
私はここ20年近くゴールドペーパー免許だが、運転はできると思う。でも事故を起こさない自信は…あまりない。メンテナンスにも不安が大ありだ。
欲しいクルマは決まっており、駐車場の目途も立っているけれど、ディーラーを訪れる勇気がいまひとつ湧いてこない。

列車での移動がいつまで可能か、自動車を買ったとしても病人を乗せる機会が何回あるのか。
考えても溜め息が出るばかり。

2008年7月 7日 (月)

ここらでお金の話

がんはお金のかかる病気だと誰もが知っている。どのくらいかかるのだろう?

もぐ太はがん保険に加入していた。自分がその病気になるとはあまり考えなかったので、掛け金の高いプランではなかったと思う。入院していた分の保険金がこのほど支払われた。

まず診断給付金が50万円。これはがんと診断されたときに出るお金だ。
次に入院給付金は1日1万5000円。うちはほぼ1か月の入院だったので、これも約50万円。
実際にかかった入院費は、差額ベッドが1日1万円と手術料・検査料が主だったが、だいたい60万円。(思ったよりずっと安かった。)
あとは在宅療養に関する給付金が少しだが、これはどういう基準かよくわからない。

入院費が実質まかなえたのはありがたかった。あと、タクシー代がこれで戻ってきたという感じ。
当然ながら保険金で太るなんていうところまでは到底いかない。通院給付金は半年後に請求することになる。

抗癌剤はさすがに高額だ。月1回の支払いが6万円強。これらの治療に加えて、健康保険のきかない自由診療の医療費が、行くたびに25万円強かかる。

病気発見と同時に夫婦とも仕事を辞め、わが家は現在無収入。その代わり生活費は食料品購入と光熱費のみとなった。自営のため地方税と健康保険料の支払いがこの時期に重なり少々焦ったが、今までのところなんとかしのいでいる。

2008年7月 6日 (日)

カレー

今日は暑いので手羽元でインドカレーを。作っている私はなおさら暑いが、汗ばむ顔をザブザブ洗っては鍋に向かう。
私のカレーは大量の玉葱をしっかり炒め、鶏肉で作る。スパイスは基本のブレンドよりも黒こしょう、クミン、カルダモン、生姜が多め。もっとも一応病人食だから、辛さは中辛に抑える。隠し味には醤油。
その時の気分で追加の材料を投入する。いまトマトが入ったところ。

もぐ太は午前に続いて午後の眠りについている。昼の茹で空豆とそうめんもよく食べた。
私は暑中見舞いの宛名を書き終え、小説を読んでいる。杉浦悦子という英米文学者がこのところ集中的に訳している作家シークリット・ヌーネスの作品。興味深く、楽しい。

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